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福岡地方裁判所 平成5年(ワ)2131号 判決

原告

株式会社福岡魚市場

右代表者監査役

片山裕資

右訴訟代理人弁護士

稲澤智多夫

春山九州男

高橋浩文

被告

乙野太郎

右訴訟代理人弁護士

堤克彦

田邊康平

古江賢

主文

一  被告は原告に対し、金五億九〇六四万三一〇一円及びこれに対する平成五年七月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は原告に対し、金一五億七五〇三万六三五〇円及びこれに対する平成五年七月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行宣言

第二  事案の概要

本件は、原告が、同社の代表取締役であった被告に対し、その在任中、被告において取締役会の設定した資金運用限度額を超える無謀な株式投資を行ったことが原告に対する善管注意義務等に違反すると主張して、その行為によって原告が受けたとする損害四〇億円以上のうち、とりわけ違法性の顕著な東亜紡織株式会社株の取引により生じたとする含む損等の一部である一五億七五〇三万六三五〇円の損害の賠償を求めた事案である。

一  当事者間に争いのない事実及び証拠(各項目毎に掲記)上明らかな事実

1  当事者

(一) 原告は、主として福岡市中央卸売市場において、生産者(水産漁業会社)の委託を受けて生鮮魚類等の水産物を卸販売することを業とする株式会社であり、その資本金は一億七六〇〇万円、平成三年度現在の売上高は七二三億三一六六万二〇〇〇円、従業員数は一六五名である。

原告は、卸売市場法に基づき、農林水産大臣の許可を受けた卸売業者であり、同法により、農林水産大臣の監督下におかれ、施設内の立入、業務・財産・帳簿・書類等の検査、監督処分、改善勧告又は命令を受ける立場にある。

(二) 被告は、昭和五八年六月から平成四年五月末日まで、原告の代表取締役社長を勤め、その後平成五年六月一五日まで非常勤取締役の地位にあったものである。

(以上、争いがない。)

2  原告内部における株式取引の規制

(一) 取締役会規則

(1) 原告の業務執行はすべて右規則の規制の下に運営されてきた。

(2) 平成三年一月二六日改正前の同規則九条は、取締役会の決議事項を定め、そのうち財務に関する事項として、「6 株式譲渡の承認、7 重要な財産の取得、処分、8 重要な投資」を規定し、同一〇条において、緊急を要するものがある時は取締役会の決議を経ないで執行できるが、次の取締役会で承認を要する旨を定めていた。

(3) 平成三年一月二六日に改正された現行規則は、右九条の取締役会議決事項のうち財務に関する事項を更に細分化し、「6 株式譲渡の承認、7 重要な財産の取得、処分、8 重要な投資、資金運用 9 資金運用の最高限度の設定、10 有価証券の取得、処分、11 資金借入れの最高限度の設定」と定め、改正前規則と同様に、緊急執行につき、取締役会の事後承認の定めを置いている。

(二) 取締役会設定の資金運用限度額

原告の取締役会は、資金運用限度額を、昭和六二年六月一八日に二〇億円、昭和六三年一二月九日に三〇億円と定めた。

(以上、争いがない。)

(三) 資金運用審議会

原告の取締役会は、平成二年一二月一一日、資金運用審議会を設置し、株式取引は同審議会を通じて同委員四名の合議により運用し、四半期(三か月)毎に定時取締役会に総体的報告をすべき旨決議した。

(以上、甲八)

3  株式取引等の経過

(一) 被告は、昭和六〇年頃から平成四年三月末頃までの間、原告の業務の執行として株式取引を行ったところ、その取引残高は、昭和六一年度から昭和六二年五月までの間、七億九六〇〇万円ないし二五億一六〇〇万円、昭和六二年六月一八日から昭和六三年一二月八日までの間、一七億五六〇〇万円ないし三六億二四〇〇万円、昭和六三年一二月九日以降、三四億二五〇〇万円ないし七六億七七〇〇万円(とりわけ、平成元年一月以降はその取引残高はほとんど常時毎月四〇億円を超え、平成二年九月には月額五〇億円、平成三年四月には七〇億円を突破し、その後も毎月六〇億円ないし七六億円)であり、その取引形態の内訳としても多額の信用取引、オプション取引がされている。

(二) 昭和六二年九月頃から取引を開始した東亜紡織株式会社(以下「東亜紡織」という。)の株式全体の月間取引高のうち、原告の株式取引の占める割合が五パーセントを超える分を列記すると、次のとおりである。

昭和六二年一〇月6.5パーセント一

一二月 5.5パーセント

昭和六三年四月17.0パーセント

七月 7.0パーセント

平成元年三月 6.0パーセント

四月 28.3パーセント

一〇月 26.2パーセント

一二月 5.3パーセント

(三) 被告は、前記の株式取引に関し、野村証券その他の証券会社に、平成元年四月から平成四年三月までの間、月額一一億五〇〇〇万円ないし二六億〇五五一万円の現金、有価証券を担保として差し入れている。

(以上、甲一一、一二、一三の一・二、一四ないし一七)

二  争点に関する当事者双方の主張の要旨

1  被告の責任原因について

(一) 原告

被告による本件株式取引は、以下に述べるとおり、取締役会の決議を経ずにされたものであり、また取締役としての善管注意義務ないし忠実義務に違反することは明らかであるから、被告は商法二六六条一項五号に基づき、原告に生じた後記損害を賠償する責任がある。

(1) 取締役会承認決議違反等

原告においては、昭和六一年に、取締役会において、一般資金運用枠の趣旨で、資金運用限度額を月当たり一〇億円と定め、昭和六二年六月一八日、右資金運用限度額を二〇億円、昭和六三年一二月九日、同三〇億円とする定時取締役会の決議がされ、平成三年一月二六日には株式取引につき取締役会の承認を要することをより明確にする趣旨に取締役会規則が改定され、さらに平成二年一二月一一日には取締役会決議により資金運用審議会を設置しながら、被告は、取締役会の承認を経ず、また資金運用審議会にもかけず、右資金運用限度額を大幅に超えて株式取引をしていたものである。なお、右限度額とは、決済時において現実に支出する金額を意味するのではなく、取引額そのものを意味することは明らかである。

(2) 忠実義務ないし善管注意義務違反(商法二五四条の三、二五四条三項)

① 原告は、卸売市場法により農林水産大臣の監督を受ける立場にある卸売業者であることからすれば、株式による投機がその定款目的の業務あるいはその遂行に必要な付帯的業務に属さないのは明らかであり、また商法四八九条四号は、「会社の営業の範囲外において、投機取引のために会社財産を処分したるとき」を刑事処罰の対象に規定しているのであるから、取締役としては、投機取引と誤解を受けるような株式取引は厳に慎むべき義務があるのに、被告は投機取引といっても過言ではないような株式取引をしている。

なお、株式投資自体が本来誰もが予測できない株価の変動による利益獲得を目指す性格を有するものであり、予測できない事情によって損失を被る危険性を常に有しているものであるから、いわゆるバブル経済崩壊という事情は考慮する必要がない。

② 具体的な株式取引自体は、「緊急を要するもの」として、事前の取締役会の承認を得る必要はないにしても、信用取引やオプション取引といった危険性の高い取引をしたり、特定株式の大量売買といったいわゆる仕手戦的行為をするに当たっては、当然事前に取締役会に報告し、その承認を得るべきであるのに、事前の承認を得ることなく、多額の信用取引やオプション取引を行い、また東亜紡織の株式の仕手戦に参画した。

③ 被告は、株式投資の収支を、他の原告所有不動産から生じる賃料収入や土地売却益等の収支と明確に区別せず、株式投資自体についても、その手数料、借入金金利の諸経費を控除していない杜撰なものを営業外収支の報告と称していたのであって、到底報告の名に値しないのみならず、取締役会の承認を得ないで、原告が長年所有していた資産株を売却したり、多額の銀行からの借入金を利用して、含み損の生じた株式の現物を引き取る方法により、帳簿上株式取引により利益が出ているように見せかけるなど、真実を隠蔽する虚偽の報告をしていたものである。

④ 被告は、原告の計算で東亜紡織という特定の株式を大量に買い付けて、その株価を上昇させ、それと同時に被告個人所有の同一銘柄の株式を売却して利益を得るといういわゆる「売り抜け」をしたり、被告個人としては、平成元年一二月には、いわゆる仕手舞いをして東亜紡織株の取引を終了しているにもかかわらず、原告の関係では九七万七〇〇〇株という大量の株式をそのまま所有し続けて含み損を増大させるなど、ことさらに原告を犠牲にして自己の利益を図る行為をしている。

⑤ 原告の経営状態は、被告の代表取締役在任当時においても、営業上の収益が減少傾向ということはなく、現在に至るまで堅調に推移しているのであって、そもそも被告が株式投資を行う必要性はなかったし、ましてや東亜紡織株の取引に至っては経営判断を明らかに誤ったものであり、取締役として許容される裁量の範囲をはるかに逸脱している。

(二) 被告

(1) 取締役会承認決議違反等について

「資金運用限度額」とは、現実に会社の資金を動かしたり、金銭を支出した額を指すものであるから、信用取引にあっては決済時において現実に支出した場合にはじめて資金運用限度額を超えるか否かが問題になるのであり、これによれば、被告による株式取引は資金運用限度額を超えたものではない。

被告は、原告の取締役会に事後的に(株式取引については、その性質上、事前の承認を得ることは不可能である。)株式投資についての総体的な収支報告をしており、とりわけ平成二年一二月の資金運用審議会設置以後は、右審議会の承認を得て取引をしており、右審議会の結果も、役員会に対し、実績検討会で包括的に報告し、半期決算時には、処分見通しも含めて報告しているのであって、仮に資金運用限度額を超えた取引であっても、取締役会の承認を経ているものである。

(2) 経営判断の法理の適用

原告は、被告が株式投資を始めた当時は年商約七〇〇億円に上る会社であったものの、その営業成績は下降気味であり、また当時のいわゆるバブル経済の時期においては、余剰資金があれば、これを不動産及び株式に投資して会社資産の増加を図ることは、経営者として当然の責務と考えられていたものである。しかして、被告は、不動産投資としては、帳簿上二六億八六九五万余円もの含み資産を増加させたにもかかわらず、株式投資にあっては、たまたま誰もが予測不可能であったバブル経済の崩壊により、価値が下落して会社に損失を与えたにすぎないのであって、それはまさしく代表取締役の経営裁量ないし経営判断の問題にほかならないから、原告の利益を図る目的でした株式投資について、損害賠償責任を負うべきものではない。

2  損害について

(一) 原告

東亜紡織株につき、被告の残した九九万七〇〇〇株のうち、平成七年三月までに、五五万七〇〇〇株の処分により、九億八四四〇万五一六九円の損害を現実に被ったほか、未処分の四四万株については、含み損として平成七年八月一〇日現在六億五七六三万一七七一円の損害を被っている。

(二) 被告

被告が東亜紡織株の取引を開始した昭和六二年九月から、その取引を停止した平成四年三月までの期間において、その株価は、最低価格は、最高価格の約二割にまで下落しているのに対して、いわゆる日経平均株価(二二五種)をみると、その最低価格は最高価格の約四割にまで下落している。そうすると、東亜紡織株についても、最高価格の四割にまで下落することについては、一般的に誰もが予測不可能であったというべきであるから、その一般的な下落幅を超えてさらに下落した分(二割)、すなわち最高額でも三億一五〇〇万七二七〇円についてのみ損害賠償の問題が生じるにすぎない。

3  過失相殺(その類推適用を含む。)及び損益相殺―被告の主張

(一) 本件損害は、原告の他の取締役が監視義務を怠ったことも相まって生じた損害であり、被告と他の取締役との共同責任によるものであるから、原告が被告に対して請求しうる額は、前記損害(三億一五〇〇万余円)からさらに四割を控除した金額(一億八九〇〇万余円)にとどまるものである。

(二) 被告は九年間にわたる原告の代表取締役社長在任期間中の功労からすれば、原告の役員退職慰労金内規に従い、九九二一万円の退職慰労金を支給されるべきであるのに、原告は被告の責任を追及することによって右支出を免れたことになるのであるから、右は損害賠償額の算定にあたって損益相殺として考慮されるべきである。

第三  当裁判所の判断

一  被告の責任原因について

1  証拠(甲一の一・二、五ないし一二、一三の一・二、一四ないし一七、一八の一ないし五、一九の一・二、二〇ないし二九、三〇の一・二、三一、乙一、五、証人梅林信彦、同浜地国弘、同長府國夫、同安川正俊、被告本人、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 被告の代表取締役在任中、原告には、取締役が全部で一三名おり、内二名が社外取締役であり、その余の一一名は社内取締役であった。

取締役全員による定例取締役会が原則として毎月二六日に開催されていたほか、社内取締役のみによるいわゆる常勤取締役会がほぼ毎朝開かれていた。なお、このほか毎年の予算編成を審議するものとして、代表取締役社長を除く取締役全員により構成される経営委員会が存在している。

(二) 被告は、原告の代表取締役在任中、原告の組織や経営の活性化をはかるべく、昭和五九年四月から平成二年三月までを二期に分け、それぞれ第一次中期計画、第二次中期計画として、時代に即応した事業展開及びそのための組織作りに努めた。

右の一環として、昭和六二年九月に九州活魚センター株式会社を設立して場外販売網を拡大し、昭和六三年三月頃には呼子活魚場を買収すると共に開発部を設置し、同年一一月には、FOT福岡海洋交易株式会社を設立して輸入事業に進出し、併せて台湾駐在所を設け、平成元年四月には開発事業本部を設立すると共に呼子養殖場を買収した。

なお、昭和五九年五月二六日の定例取締役会では、資金運用の効率化の観点から、原告が従来取引していた一七行の銀行を三行にまとめることとされた。

(三) 原告は、被告が代表取締役に就任する以前は、取引銀行あるいは取引水産会社等の株式をいわゆる資産株として取得することはあっても、株式投資(取引銀行等の株式の取得を除く株式取引をいう。)をしたことはなかったが、被告は、昭和六一年二月の常勤取締役会において、株式投資による資金運用を提案し、了承を得た。その際、被告から、当面株式投資の枠として、一〇億円を認めてほしい旨の申入れがされて了承された。また、その後、前記第二の一2(二)のとおり、資金運用限度額が二〇億円、三〇億円と順次増額された。

ところで、これに先立つ昭和五八年頃、被告は、野村証券久留米支店を通じて、被告個人として株式投資をするようになり、さらに昭和六〇年頃から、原告の経理部の浜地国弘(昭和六二年から取締役経理部長財務室長)の補助(事務処理全般)を受けつつ、原告の計算で株式投資をするようになったが、右株式投資には、大学生時代に被告の自宅に下宿していたことがある渡辺涼二が深く関与していた。すなわち、被告は、渡辺が昭和五八年当時野村証券株式会社の本社に在籍しており、同社久留米支店の支店長は渡辺の知人であった関係で同支店を通じて取引をするようになったものであり、昭和六二年四月に渡辺が外資系のベーチェ証券株式会社(その後プルデンシャル証券株式会社に吸収合併)に移籍した後は、主として同社を通じて取引が繰り返されていた。

なお、渡辺は、平成四年以降行方不明となった。

(四) 東亜紡織は、平成四年三月三一日現在、資本金七四億九〇〇〇万円、発行済株式総数五三八〇万二〇〇〇株であり、その株式は、東京証券取引所及び大阪証券取引所の各一部に上場されている。

東亜紡織の株価は、昭和五七年から昭和六二年半ば頃までは、せいぜい五〇〇円台程度の値を付けるにとどまり、その間の変動幅はあまりなかった。しかるに、被告が東亜紡織の株式投資をしていた昭和六二年九月から平成四年三月頃までの間は値動きが激しく、昭和六三年七月に二四四〇円の値を付けたのを最高値として、以後は下落の一途をたどり、被告が手仕舞いした平成四年三月頃には、五〇〇円台程度にまで下落した。その後、株価の低迷が続き、平成六年三月頃まではせいぜい六〇〇円台程度までの値動きにとどまり、一〇〇〇円には届かなかったが、同年四月以降はやや盛り返しの兆しをみせ、同年七月には一〇四〇円にまで持ち直したものの、大幅に持ち直すまでには至っていない。

なお、東亜紡織の株式の月間取引高のうち原告の株式取引の占める割合は、前記第二の一3(二)のとおりである。

(五) これらの株式投資については、月毎に浜地が作成した損益計算書による概括的な報告が取締役会にされていたにすぎなかった。すなわち、右は損益計算書の営業外収支に計上されることになるが、この中には、他の原告所有不動産から生じる賃料収入や土地売却益等も含まれており、株式投資自体の明細が明らかにされなかったため、他の取締役にとっては、株式投資による収支を正確に把握することが困難な状態であった。のみならず、被告は、株式投資による損失が表面化するのを防ぐため、原告がこれまで保有していたいわゆる資産株を売却したり、銀行からの借入金を増やしたりして信用取引にかかる株式を現引した。

(六) 平成二年一〇月、原告に対する農林水産省の業務検査があり、株式投資の額の過大さが問題視され、株式投資の資金の流れに対する取締役会等による監視体制の改善と保有資産の処分等による会社の財産状態の健全化を図ることが勧告された。

右勧告に基づいて、平成二年一二月一一日の常勤取締役会において、資金運用審議会を設置することとなった。その委員は、被告のほか、浜地、取締役経営管理室長松尾速実、取締役経営企画室長工藤弘志であり、以後、株式投資は同審議会を通じて同委員四名の合議により運用することとなり、その結果は四半期ごとに定例取締役会に報告することが義務づけられた。そして、同審議会は、平成三年一月一一日から平成四年三月一一日までの間に少なくとも八回開かれた。また、前記第二の一2(一)のとおり、平成三年一月二六日、取締役会規則が改訂され、取締役会の事前の決議を要する事項のうちの「重要な投資」を「重要な投資、資金運用」と改めたほか、「資金運用の最高限度の設定」、「有価証券の取得、処分」、「資金借入れの最高限度の設定」が追加された。

しかし、資金運用審議会での審議の具体的内容は必ずしも定例ないし常勤取締役会には明らかにされなかった。もっとも平成三年一月一一日の資金運用審議会では、浜地において平成二年一二月末現在で二億〇三〇四万余円の実質損が生じていること及びペーチェ証券での運用保有株は一六億七〇〇〇万円に及ぶ旨の報告をするなど、他の期日における資金運用審議会の議事録に比してより具体的な数値を含む報告がされている(ただし、この議事録には、被告の認証の押印がない。)。

(七) 平成四年二月四日の経営委員会において、浜地より、借入金が三二億円、運用株五〇億円のうち含み損が二〇億円あるとの報告がされたので、これを受けて、被告に伏せたままで、株式投資の実態について調査が開始された。

同年三月二六日の定例取締役会で、資金運用の実態について、同年二月までの有価証券残高は四七億九九〇〇万円、評価損は二二億六四〇〇万円であり、その後の処分を考慮すると、同年三月末現在の有価証券残高は三八億六五四〇万円程度、評価損は二〇ないし二一億円程度と見込まれる旨の調査報告がされ、問題が明らかになったので、これを踏まえ、取締役の中から資金運用審議会の委員を除く取締役六名に監査役二名及び公認会計士を入れた財務調査委員会を設け本格的な調査に乗り出した。

(八) 平成四年五月末の被告の代表取締役退任後、原告は、被告において処分しないまま残っていた東亜紡織の株式九九万七〇〇〇株を順次処分することとし、平成四年度には、二二万株(その簿価は四億六三〇五万一六〇〇円)を七三三二万二〇〇〇円で、平成五年度には七万株(簿価は二億四七〇二万二七〇〇円)を三五九二万七〇〇〇円で、平成六年度には二六万七〇〇〇株(簿価は六億〇二七一万五二七九円)を二億二三二二万四〇〇〇円で売却処分した。その結果、売却費用(手数料及び税金)合計四〇八万八五九〇円と併せて、九億八四四〇万五一六九円の現実の損失が発生し、残余の四四万株についてはなお処分の機会を窺っている。

2 以上のとおり、原告は、卸売市場法により農林水産大臣の監督を受ける卸売業者の立場にあり、その主たる目的には株式投資は含まれておらず、現に被告が代表取締役社長に就任するまでは、銀行株等の資産株を保有していたほか、ことさら積極的な株式投資がされた形跡はないこと、被告は、株式投資をするにあたり一応形式的な取締役会の承認は取り付けているものの、その後の取引経過の報告はきわめて概括的なものにとどまるのみならず、かえって株式投資による損失を隠蔽するかのような形態での報告に終始しており、右報告だけでは他の取締役が株式投資の実態を把握することは困難であったこと、その取引額は取締役会で決議した資金運用限度額を大幅に上回っており、しかも信用取引、オプション取引といった危険性の高い取引形態も採られていること、とりわけ、東亜紡織株の取引については、その取引の時期、取引数量、株価の動静等からして、明らかに仕手戦参画と評価できる行動を取っていることが認められるのであり、これらによれば、少なくとも、被告による東亜紡織株の取引が、原告の取締役としての忠実義務ないし善管注意義務に違反するものであることは明らかである。

なお、右の資金運用限度額の趣旨につき、被告は、現実に資金を動かしたり、金銭を支出したりしたその額を指すものであるという前提のもとに、信用取引にあっては、その取引額自体ではなく、決済時に現実に支払われた金額が対象とされるべきである旨主張し、証人浜地の証言及び被告本人の供述(乙第五号証の陳述書を含む。)中には右主張に副う部分があるが、それでは信用取引という形態をとることにより資金運用限度額を設定した趣旨をないがしろにすることになって、いかにも不合理である。したがって、右は、信用取引をも含む取引額そのものを指すものと解すべく、被告の右主張は到底採用することができない。

3  ところで、被告は、いわゆる経営判断の法理の適用により、本件株式投資の結果に責任を負わない旨主張する。なるほど、企業経営には多少の冒険と危険がつきものであり、取締役が会社の業務執行にあたり行った経営判断が結果的に誤っていたということだけで、その法的責任を問うことが適当ではないという考え方自体は十分傾聴に値するものである。しかしながら、その場合においても、企業経営者の経営判断はおよそ法的な責任を問われることがないということではなく、当時の経済情勢、当該企業の経営状態及び将来的な見通し等、諸般の状況に照らして、そのような経営判断をしたことに一応の合理性が認められる場合にはじめて無責でありうるものというべきである。

そこで、本件についてこの点を見るに、証人梅林の証言によれば、被告が株式投資による原告の資金運用に乗り出した当時には、原告の社内留保としての銀行預金は二〇億円もあった上に、本業である魚の売買仲介業による経営利益の伸び率は低下していたものの、業績が悪化の一途を辿っていたとか、近い将来の経営破綻が確実視されていたということでは決してない。したがって、被告が相当の危険を承知の上で敢えて株式投資にうって出なければならないという切迫した状況にはなかったことが明らかである。むしろ、「我社には後退はない、あくなき前進と挑戦あるのみ」(乙一)というスローガンに象徴されるような被告特有の積極的で強気の経営理念からくる方策であったものというべきである。もっとも、いわゆるバブル経済の最盛期に、本業とあまり関係のない不動産投資や株式投資に多額の資金を投入し、バブル崩壊とともに多額の損失を招いた会社が少なからず存在したことも殆ど公知の事実に属することであるが、公明正大に取引内容を取締役会に開示したうえ、その承認を得て行うのならば格別、前記のとおり、他の取締役に株式取引の実態がわからない状態で、仕手戦と評価されるような取引をすることが、取締役としての忠実義務ないし善管注意義務に違反することは明白であって、本件は経営判断の法理が適用される場合にはあたらない。

また、被告は、不動産投資においては利益を上げており、この点を考慮するべきである旨主張するが、被告が代表取締役在任中に購入した不動産はほとんどが投資の対象として購入したものではなく、事業用地として取得したものであって、それが結果的に多額の含み益を出しているからといって、そのことが本件株式投資の違法性の判断を何ら左右するものでないことは明らかである。

二  損害について

1  前記認定のとおり、本件株式投資が終了した平成四年三月当時、原告が保有していた東亜紡織の株式は九九万七〇〇〇株であるところ、その後、内五五万七〇〇〇株が処分され、総額九億八四四〇万五一六九円の実損が生じているのであるから、右損害が被告の前記違法行為と相当因果関係のある損害であることは明らかである。

原告は、さらに、未処分の株式の含み損も損害として請求しているが、原告による前記処分価格に相当な格差があることからも明らかなように、東亜紡織の株価は大きく変動しており、今後もその可能性は大きいから、処分前の現段階で損害として確定することは困難であるものといわざるを得ない。したがって、右含み損を直ちに損害として認めることはできず、また、他に前記実損を超える損害(原告の主張によれば、全損害は四〇億円以上に達するという。)を認めるに足りる的確な証拠はないから、原告の損害は九億八四四〇万五一六九円の範囲でこれを認めるのが相当である。

2  被告は、いわゆるバブル経済の崩壊により、日経平均株価も急激に下落しているから、右下落幅を超えた限度でしか責任を負わない旨主張する。

しかしながら、前記のとおり、東亜紡織株の取引については、正常な投資による取引ではなく、仕手戦と評価される取引であるから、右株式価格の下落とバブル経済崩壊による一般的な株式価格の下落とを同一視できないのは明らかであって、被告の右主張は採用できない。

三  過失相殺ないし損益相殺の主張について

前記認定事実によれば、本件株式投資につき、主として責任を負うべきが被告であることは明らかであるものの、他の取締役の責任も否定しえないものがある。すなわち、株式会社の取締役会は、会社の業務執行を決定すると共に代表取締役の職務の執行を監督する地位にあるから、取締役会を構成する取締役は、会社に対し、取締役会に上程された事柄についてだけ監視するにとどまらず、代表取締役の業務執行一般につき、これを監視する職務を有することはいうまでもないところ、本件株式投資については、確かに損失がわかりにくい報告内容であったことは明らかであるにせよ、他の取締役において、積極的に被告に株式取引内容の明細の報告を要求したわけではなく、被告の報告を鵜呑みにしていたのであるし、とりわけ経理部長の地位にあった浜地にあっては、被告の指示に基づいて個々の取引事務を担当し、その取締役会への報告にも携わっていたのであるから、取引の危険性等を十分把握できる立場にありながら、平成四年二月に経営委員会に対し株式投資による損失を開示するまでは他の取締役に対して株式取引による損失等を秘匿していたのであって、その責任は重大であるというべきである。

このような見地に立って考えると、原告が他の取締役の責任を不問に付したまま、被告の責任のみを追及することを認めることは、損害の公平な分担という過失相殺の法理の趣旨からして適当ではないものといわなければならない。

加えて、前記認定のとおり、被告は、昭和五八年から平成四年までの代表取締役在任中、積極的に組織変革を手掛けるなど原告に対しそれなりの功労があったことは否定できないところ、本件株式投資という違法行為が発覚したことにより、当然のこととはいえ、右功労は無視され、原告としては、右違法行為がなければ支給された可能性のある一億円近い退職慰労金の支出を免れている(甲三四の二・三、乙九、一一)のであるから、被告の負担する損害額を算定するにあたっては、右損益相殺的な要素も加味するのが相当である。

以上の諸事情を総合考慮すると、原告が被告に賠償を求めることができる額としては、前記認定にかかる損害額九億八四四〇万五一六九円から四割を減じた五億九〇六四万三一〇一円(円未満切捨て)とするのが相当である。

四  結論

そうすると、原告の本訴請求は、五億九〇六四万三一〇一円及びこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな平成五年七月二五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官西理 裁判官神山隆一 裁判官早川真一)

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